臨 高台院・消息

高台院(1548-1624)
秀吉の正室。
足軽時代の秀吉に嫁ぎよく内助の功を発揮した。
気丈な一面が現われている書だ。

鶴方へまいる


臨 黒田長政・書状

黒田長政(1568-1623)
秀吉の武将として数々の武功を立てる。
関が原では、三成と折り合いが悪く家康方に付く。

為見廻千鳥貝




臨 織田有楽・書状

織田有楽(1547-1621)
信長の弟。
信長の死後秀吉に従う。
関が原では東軍に属す。
大阪冬の陣では、秀頼の補佐役として大阪陣にあったが、
和睦斡旋などで重要な役割を果たした。
千利休の弟子で、利休七哲として知られる。
武人としてよりも茶人として名高い。
尚、東京有楽町は有楽斎の屋敷跡の名を止める。

それへ御礼ニ可参と存候へ共
さりかたき用候上方へ


臨 島津義弘・書状

島津義弘(1535-1619)
其の武勇さで聞こえた武将である。
関が原では西軍に組し敗北し、桜島に蟄居する。
武将の書らしい骨格を秘めている。

此方之辛労打続

飲中八仙歌 杜甫


知 章 騎 馬 似 乗 船    知章(ちしょう)が馬に騎(の)るは船に乗(の)るに似たり

眼 花 落 井 水 底 眠    眼は花(くら)み井(い)に落(お)ちて水底に眠(ねむ)る

百人一首 清原元輔

ちぎりきなかたみにそでをしぼりつつすえのすえの松山なみこさじとは


百人一首 平兼盛

しのぶれどいろにでにけり我が恋はものやおもうと人のとうまで