いろんな書 いろんな写真
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臨 千姫・消息
千姫(1597-1666)
秀忠の長女、母はお市の方と浅井長政の子、於江与の方。
7歳で従兄弟の秀頼の正妻となる。
大阪城落城の際、坂崎出羽守に救出されるが、本多忠刻と再婚。
この間の出来事は歪曲され後生に伝えられる。
忠刻没後、本多家は断絶され、千姫は30歳の若さで江戸に戻り、
出家し天樹院と号し、千姫ご乱行の俗説を産む。
70歳にて波乱万丈の生涯を終える。
瑞々しく華麗な文である。
筆致からは内気な貞淑な平凡な女性像が浮かび上がるが・・・
あやめのめでたさ
臨 松花堂昭乗・長恨歌
松花堂昭乗(1584-1639)
寛永の三筆の一人。
真言密教の法を修め、広く人々から敬慕された。
仏道ばかりでなく、和歌、茶道にも優れ、
書画器玩の見識高い蒐集家としても知られる。
洒脱なしょである。
長恨者楊貴妃也
臨 大久保彦左衛門・書状
大久保彦左衛門(1550-1639)
常に家康の元にあって数々の武勲を立て、
諸侯に列しさせようとする家康の意向を頑固に辞退したが、
重要な会議には必ず列席し遠慮の内発言をしたと言う。
見るからに頑固一徹さを示す書だ。
先度者ゑ門被越候・書状
臨 本阿弥光悦・寄進状
本阿弥光悦(1558-1637)
本阿弥家は本来刀剣の研磨、鑑定、浄拭を本業とした。
書画、蒔絵、陶器などに秀で当代一の文化人と崇められた。
特に書では寛永の三筆として名高い。
粋人らしい新鮮繊細な書風である。
道風之法華経
一部十巻井箱机
臨 伊達政宗・書状
伊達政宗(1567-1636)
奥州一帯に勢力を伸ばしたが、
結局は秀吉、家康に順次従った。
支倉常長をローマに派遣し通商貿易を求めるなど、
遠大な計画の持ち主だったことが覗える。
一方で、和歌茶道にも通じ、中央の文化を東北に広めた。
関白様会津へ御下向ニ付きて
臨 徳川秀忠・小歌
徳川秀忠(1578-1632)
徳川二代将軍として江戸幕府の基礎を固めた。
人柄も良く学問にも熱心であったという。
豊麗な筆致である。
君ハ初音の郭公松に
臨 藤堂高虎・書状
藤堂高虎(1556-1630)
幼時より武勇の誉れが高かったが、
文学・茶道にも通じていた。
急度申入候
一蔵よりむしろ
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蛍
東慶寺7月 5
鎌倉、紫陽花の頃13
臨 島津義弘・書状
島津義弘(1535-1619) 其の武勇さで聞こえた武将である。 関が原では西軍に組し敗北し、桜島に蟄居する。 武将の書らしい骨格を秘めている。 此方之辛労打続