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臨 千姫・消息
千姫(1597-1666)
秀忠の長女、母はお市の方と浅井長政の子、於江与の方。
7歳で従兄弟の秀頼の正妻となる。
大阪城落城の際、坂崎出羽守に救出されるが、本多忠刻と再婚。
この間の出来事は歪曲され後生に伝えられる。
忠刻没後、本多家は断絶され、千姫は30歳の若さで江戸に戻り、
出家し天樹院と号し、千姫ご乱行の俗説を産む。
70歳にて波乱万丈の生涯を終える。
瑞々しく華麗な文である。
筆致からは内気な貞淑な平凡な女性像が浮かび上がるが・・・
あやめのめでたさ
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蛍
臨 島津義弘・書状
島津義弘(1535-1619) 其の武勇さで聞こえた武将である。 関が原では西軍に組し敗北し、桜島に蟄居する。 武将の書らしい骨格を秘めている。 此方之辛労打続
臨 福島正則・書状
福島正則(1561-1624) 若きより秀吉の武将として多くの戦功を上げる。 秀吉没後は家康に従い、関が原の戦いの戦功などで大大名の名を連ねる。 しかし、秀忠の譴責を買い、領地を没収され蟄居のまま没する。 態申入候仍大納言此一 両日少御気分悪敷御座候
臨 織田有楽・書状
織田有楽(1547-1621) 信長の弟。 信長の死後秀吉に従う。 関が原では東軍に属す。 大阪冬の陣では、秀頼の補佐役として大阪陣にあったが、 和睦斡旋などで重要な役割を果たした。 千利休の弟子で、利休七哲として知られる。 武人としてよりも茶人として名高い。 尚...
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